妊婦さんへのアブリスボ(RSウイルスワクチン)について
2026年4月から、妊婦さんに接種するRSウイルスワクチン「アブリスボ」が定期接種になりました(※1)。当院でも開業当初からこのワクチンの接種を積極的にお勧めしてきましたが、定期接種化の報道が出てから「結局これってどういうワクチンなんですか?」というご質問を受ける機会が増えました。
名前は聞いたことがあるけれどよく知らない、というお声も多いので、今回はこのワクチンの特徴と意義を整理してご説明します。
「妊婦さんに打って、赤ちゃんを守る」唯一の定期接種
アブリスボは、妊婦さんに接種することで、お母さんの体の中でRSウイルスに対する抗体(中和抗体)が作られ、その抗体が胎盤を通って赤ちゃんに移行するという仕組みのワクチンです(※2)。生まれたばかりの赤ちゃんは自分でウイルスと戦う免疫が未熟なので、お母さんからもらった抗体で生後しばらくの間を守ろう、という発想です。
実は、これは現在の日本の定期接種の中で、ただひとつ「妊婦さんに打つこと」を前提に設計されたワクチンです(※2、※3)。これまでの定期接種は、生まれたお子さん自身に接種して免疫をつけてもらうものばかりでしたから、設計思想として大きな転換と言えます。
対象は、妊娠28週0日〜36週6日の妊婦さんで、定期接種では1回筋肉内に注射します(※1、※3)。妊娠24週0日〜27週6日でも接種は可能ですが、その時期は任意接種という扱いになります(※3)。
ひとつ補足しておきたいのは、接種してから抗体がしっかり上がってくるまで、目安として2週間ほどかかるという点です。添付文書でも、接種から14日以内に出生した乳児では赤ちゃんへの抗体移行が十分でない可能性があるとされています(※4)。万一お産が予定より早く始まる可能性もありますから、当院としては、定期接種の枠の中でも比較的早めの妊娠28週〜32週ごろに接種を済ませておくことをお勧めしています。
乳児のRS入院・重症化を大きく減らす効果
アブリスボの有効性は、日本も参加した7,000人を超える妊婦さんを対象とした国際共同第3相試験(MATISSE試験)で確認されています(※5)。この試験では、生後180日以内の重症RS下気道感染症を約7割減らし、医療機関を受診したRS下気道感染症全体を約半分に減らすという結果でした(※5)。世の中に出回っているワクチンの中でも、しっかりとした予防効果と言える水準です。
費用対効果でも「ドミナント」と評価されたワクチン
実はこのワクチン、定期接種化の議論の中で、もうひとつ非常に注目すべき評価を受けています。費用対効果分析で「ドミナント(dominant)」という結論が出たのです。
少しだけ専門的な話になりますが、ワクチンや医療技術を導入する際には、QALY(クオリー、質調整生存年)という指標を使って費用対効果を評価するのが一般的です。普通は「健康な1年分を上乗せするのに何百万円かかるか」という計算になり、その金額が一定の基準より小さければ「導入する価値がある」と判断されます。要するに、新しいワクチンを入れるとき、医療費はある程度上がるけれど、それに見合うだけの健康効果が得られるか、という評価です。
ところが、アブリスボの分析では、ワクチンを導入した方が、現状よりも健康効果は上がり、しかも社会全体の医療費はむしろ下がる、という結果が出ました。これが「ドミナント」と呼ばれる結論です。費用と効果の両面で勝っている、という意味で、医療経済評価の中ではかなり例外的な結果です。
なぜこんなことが起きるかというと、RSウイルスによる乳児の入院がそれだけ多く、しかも重症化すると入院費・人工呼吸器管理などで非常に高額になるからです。日本でも毎年、生後24か月未満で3万人〜5万人がRSウイルスで入院していると推定されており、その大半は基礎疾患のない普通の赤ちゃんです(※6)。これを妊娠中の1回の接種で大きく減らせるのなら、ワクチン代を払ってもなお社会全体としてはお釣りが来る、という計算が成り立ったのです。
ドミナント評価が出るワクチンというのは、近年で言えば小児の肺炎球菌ワクチンや子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)に並ぶ水準の話で、めったに出てきません。「効果が高い」「副反応が少ない」というだけでなく、「社会全体で見ても得をする可能性が高い」と数字で示されたワクチンというのは、特別なことです。
海外での使用実績と安全性
アブリスボは、日本での承認に先立ち、米国食品医薬品局(FDA)と欧州医薬品庁(EMA)が2023年に承認しており、世界保健機関(WHO)も2025年3月に妊婦向けRSウイルスワクチンとして初めて事前承認の対象としています(※7、※8)。米国では2023年シーズンから妊婦さんへの接種が始まっており、すでに多くの妊婦さんが接種を受けたうえで安全性のモニタリングが続けられています(※1)。
最も多い副反応は注射部位の痛みで、接種者の約4割に見られますが、その大半は軽度〜中等度で2〜3日で消失します(※4)。早産や妊娠高血圧症候群との関連も慎重に調べられていますが、現時点で統計的に有意な増加は確認されていません(※1)。海外で先行して使われ、安全性の積み重ねがある状態で日本の定期接種に入ってきた、という点は安心していただいてよいポイントです。
「お母さんから抗体をもらって守る方法」は他にもあるのか
ここまで読んで、「同じように胎盤を通じて抗体をもらって赤ちゃんを守る方法は、他にもあるのだろうか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。実はあります。それが3種混合ワクチン(DPT、商品名トリビック)の妊婦さんへの接種です。
百日咳は、生後2か月未満の赤ちゃんが罹ると無呼吸発作や肺炎、脳症を起こすことがある重い感染症です(※2)。日本では赤ちゃん自身への百日咳ワクチン(5種混合ワクチンに含まれます)が始まるのは生後2か月からなので、それまでの期間が空白になります。この空白を埋めるために、妊娠27〜36週の妊婦さんに3種混合ワクチンを接種し、お母さんから抗体を移行させて生後早期の赤ちゃんを守ろう、という考え方です(※2、※3)。
欧米ではすでに広く実施されていますが、日本では3種混合ワクチンの妊婦さんへの接種は任意接種扱いです(※2、※3)。費用や接種時期は医療機関ごとに異なります。当院でもご相談を承っていますので、「アブリスボに加えて百日咳の対策もしておきたい」とお考えの妊婦さん・ご家族は、お問い合わせください。
まとめ
アブリスボは、定期接種の中で初めて、妊婦さんに接種して胎盤越しに赤ちゃんを守るという設計を採用したワクチンです。臨床試験と海外でのリアルワールドデータの両方で乳児のRSウイルス感染症による入院や重症化を大きく減らすことが確認され、費用対効果でもドミナントという極めて高い評価を得て定期接種に位置づけられました。
ご出産を控える妊婦さんにとっては、産科の主治医と接種時期を相談していただくのが最善の進め方です。当院は妊婦さんに直接接種する施設ではありませんが、アブリスボや百日咳対策など「赤ちゃんを守るために妊娠中にできること」についてのご相談は歓迎しています。お気軽にお問い合わせください。
参考文献
※1 厚生労働省. 第72回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会 議事録. 令和7年11月19日.
※2 日本小児科学会 予防接種・感染症委員会. 妊婦への接種が推奨または考慮されるワクチン. 2025年10月7日. https://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=654
※3 日本小児科学会. 日本小児科学会が推奨する予防接種スケジュール 2026.4.1版. https://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=138
※4 アブリスボ筋注用 添付文書(2025年9月改訂・第3版). ファイザー株式会社.
※5 Kampmann B, et al. Bivalent Prefusion F Vaccine in Pregnancy to Prevent RSV Illness in Infants. N Engl J Med. 2023; 388(16): 1451-1464. PMID: 37018474
※6 国立健康危機管理研究機構 国立感染症研究所. RSウイルス母子免疫ワクチンと抗体製剤ファクトシート. 令和7年10月22日.(厚生労働省ワクチン評価小委員会提出資料)
※7 European Medicines Agency. Abrysvo: Assessment report. 2023. https://www.ema.europa.eu/en/medicines/human/EPAR/abrysvo
※8 World Health Organization. WHO prequalifies first maternal respiratory syncytial virus vaccine. 2025年3月19日.

